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症例

院長が経験した、具体的な症例を紹介します。
「在宅療養でどんなことができるのか」を知っていただき、ご自身、ご家族様の療養の仕方の参考にしていただけましたら幸いです。

症例1:100歳の家とおばあさん

私が訪問診療を始めた、今から20年前、医師になって2年目の頃の話です。

患者さんは100歳になろうかという年齢の、おばあさんのWさんです。
Wさんは一人暮らしで、一軒家に住んでいました。蝉の抜け殻がたくさんついた木の柵を開け、植物が鬱蒼と生い茂った庭を掻き分けて行くと家があって、昔の古い造りで、土間があって縁側がありました。

Wさんと同様に家も100年くらい歳をとっている様相で、静かで暗くて涼しくて、古いものが沢山あって、その中のいつも同じ場所にWさんは座っていました。

Wさんのお兄さんは軍医だったらしく、まだ若くて男前だった私には「昇平さん、昇平さん」ととても好意的に接してくれました。
しかし、彼女の中では序列があり、医師である私は最上位、看護師は最下位だったらしく、「私たちの言うことは全然聞かない!」といつも師長さんは笑って言ってました。

当時の私はまだまだ経験も浅く、Wさんの日々の訴えに対処することで精一杯だった記憶があります。気難しいところがあるWさんが心を開いてくれたのは、私が歌舞伎役者のように男前だっただけではなく、一生懸命さが伝わっていたのかもしれません。

私は家庭医ですが、家庭医療学では患者さんとの関係性を重視します。信頼していない医師の薬なんて患者さんは飲んでくれないし、その先生の言葉も価値を持ちませんから。

Wさんから頂いた経験は、私の医療の大事な基礎の一つになっています。

症例2:飲んだか?

80代のHさんは、奥様とお二人で暮らしておられました。
認知症の進行に伴い、少しずつ動くことが難しくなり、ご家族が地域包括支援センターへ相談されたことをきっかけに、当院へ訪問診療の依頼がありました。

その後、誤嚥性肺炎を繰り返すようになり、次第にベッド上で過ごす時間が長くなりました。食事量も少しずつ減っていき、入院して治療を行うか、このままご自宅での療養を続けるか、ご家族と相談する時期を迎えました。

息子さんは、こう話されました。

「父は、『病院だけは嫌だ。先生にそう言ってくれ』と、ずっと言っています」
「母も、ふたり一緒じゃないとだめなんです。できれば自宅で、治療をお願いできますか」

Hさんと奥様はとても仲の良いご夫婦でした。
お元気な頃は、夕食時だけでなく昼間の食事の際にも、少しお酒を楽しまれるのが日課だったそうです。

奥様は笑いながら、こんなお話をしてくださいました。

「私はもともと一滴も飲まなかったんだけど。でも、この人が『飲め、飲め』と言うから、一緒に飲んでいるうちに、今は病みつきになってしまって」

やがてHさんは、お酒を飲むことも、食事をとることも難しくなりました。
口から摂れるのは、舌を湿らせる程度の水分だけになっていきました。

それでも、奥様とのやり取りは続いていました。

「私がご飯を食べていると、『飲んだか?』というように、お酒を飲む仕草をするんです。『飲んだよ』と言うと、そうかそうか、とうなずく。今はそんな会話をしてる。声は出ないけどね」

息子さんは毎日のように泊まりに来られ、Hさんと奥様を支えておられました。
遠方から弟さんもお見舞いに来られ、その時には、何かを伝えようと口を動かしておられたそうです。

最期の日には、お孫さんたちも学校を早退して会いに来られました。
その日の午後、Hさんはご家族に見守られながら、ご自宅で静かに永眠されました。

 

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